HHD’s blog

線路のある風景

「稲佐の浜」を出版しました

半年ぶりに電子書籍本(アマゾンキンドル)を出しました。今回は竹内まりやの「いのちの歌」のミュージックビデオに登場する出雲大社近くの稲佐の浜への旅を綴りました。竹内まりやの生家の「竹野屋旅館」に宿泊し翌朝、神迎えの道を歩いて稲佐の浜へ行きま…

ケメ子の歌

私は父の転勤の都合で小学校時代を四国の高松で暮らした。高松の社宅の最寄り駅としては、国鉄高徳線の栗林駅と高松琴平電気鉄道の栗林公園駅があったが、国鉄線は松山や高知等の比較的遠地に行くときに乗るものであり、日常生活では圧倒的に高松琴平電気鉄…

結婚するって本当ですか

かつて東海道本線の東京・大阪間を走っていた寝台急行「銀河」に私は何度も乗った。乗車目的は神戸の実家への帰省だった。 東京駅のホームに上がると大阪行きの寝台急行「銀河」はすでに入線していた。B寝台の下段のベッドに腰を下ろす。今回の神戸への帰省…

死について考える

私がまだ40歳の頃、いとこの葬儀に参列したことがあった。いとことは言っても生前ほとんど付き合いはなく、たまに法事で顔を合わせる程度の関係だった。葬儀も終わりに近づいた時に喪主であるいとこの奥さんと中学生の長男があいさつで前に立った。私はいと…

宇高連絡船の思い出

宇高連絡船はかつて四国の高松駅と岡山県の宇野駅の間を国鉄が航行していた鉄道連絡船だった。私は高松で小学生時代を送ったが、当時はまだ瀬戸大橋は出来ていなかったので、故郷の神戸に帰省するときは必ずこの連絡船に乗った。そしてこの時にいつも食べた…

西神中央駅

「ありがとう。行ってきます。」「気をつけてな。」 お盆休みを終えて東京に帰る私を、神戸市営地下鉄の西神中央駅まで車で送ってくれた父との会話だった。そしてこれが父と交わした最後の会話となった。 父が危篤状態になったとの電話があったのは夜の10時…

青春18きっぷ(夏)

・はじめての一人旅を、人は一生、忘れない。 青春18きっぷの広告のキャッチコピーである。そしてこのキャッチコピーの旅が私にはある。就職活動を直前に控えた大学4年生の夏休みの旅である。 1980年8月、大阪駅から富山行の夜行急行「立山」に乗った。夏…

青春18きっぷ(春)

・タンポポみたいに旅にでた。 青春18きっぷのキャッチコピーをみるといつも旅に出たくなる。今年ももうすぐ春の発売が始まるようである。コロナ禍で旅に出る機会がめっきり減ってしまったが、やはり旅はしたい。 私は在宅血液透析を始めて5年になるがこ…

借金だるま

2015年9月にNHKの番組で阪急電鉄や宝塚歌劇団などの阪急グループの創始者である小林一三の生涯を描いたドラマ「経世済民の男」が放送された。そのドラマの中で巨大なだるまが登場した。「借金だるま」と名付けられたそのだるまは、見た目はどことなくコミカ…

「井」の思い出

私は子供の頃から鉄道が好きだった。車両を見たり乗ったりするのはもちろん大好きであるが、何が一番好きかと聞かれたら多分「線路」と答えると思う。線路に関しては色々な思い出があるが、今思い出しても思わずにんまりとしてしまう出来事がある。 小学校の…

お寺の「今日のことば」

コロナの感染拡大による緊急事態宣言が出されたため、近くを散歩することしかできない日々が続いている。散歩の途中でお寺の「今日のことば」を見る機会が増えた。最初は何気なく見ていたがそのうちに気が付いたことがあった。掲示板に書かれたお寺の「今日…

雪景色と列車

列車の窓から雪景色を眺めるのはいいものである。冬の旅の醍醐味ともいえる。急に雪を見たくなって出かけた旅があった。 1986年1月15日。大阪駅から特急「雷鳥」に乗った。湖西線の蓬莱駅を通過したあたりから車窓に積雪が見られるようになった。敦賀を出て…

神戸駅

大学病院のトイレで用を足す。少ないながらもまだ尿が出ている。理屈抜きでうれしい。一般の人にとっては尿が出ることは当たり前のことなので私の気持ちは理解してもらえないと思うが、私にとっては有難い事なのである。しかし最近は尿の量もかなり少なくな…

トーストとコーヒー

「最近、昼は毎日トーストとコーヒーにしているんや」 父がぽつりと言った言葉が今でも私の記憶に残っている。砂を噛んでいるようで気持ちが悪いと言って朝食にトーストを食べるのを嫌っていたのに、どうして食べるようになったのか私は不思議に思ったものだ…

長時間透析と海芝浦駅

今から7年ほど前のこと、横浜にすごい透析クリニックがあると聞いて実体験することになった。早朝に新神戸駅から新幹線に乗った。桜木町駅から徒歩10分ほどの場所にあるクリニックはいつもの見慣れた大部屋の透析室ではなく、ブース型の個室のみの構造で、シ…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(摂津本山駅)

摂津本山駅 私の旧国名の付く駅を訪ねる旅の最後になったのは私の生まれ故郷である神戸にある摂津本山駅であった。前回の駿河小山駅から5年近くの歳月が流れていた。もっと早くこの駅を訪ねて、私の旧国名の付く駅を訪ねる旅を完結させたかったのだが、私に…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(駿河小山駅)

駿河小山駅 この駅は以前に1度訪れている。しかしその時は、旧国名の付く駅を訪ねる旅を始める前であったので写真を撮ることはしなかった。そのため写真を撮るためにこの日、再度訪れた。天気は良かったが寒い日で線路わきにうっすらと積雪が残っていた。 こ…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(豊前川崎駅)

豊前川崎駅 前日の夜は久留米で泊まった。この日は久大本線の列車で夜明駅まで行き、日田彦山線の列車に乗り換えた。添田駅でおりて目的地の豊前川崎駅を目指し歩いた。添田駅の構内は広く閑散としていた。この時には、北海道の美幸線と並んで日本一の赤字ロ…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(筑後若津駅)

筑後若津駅 筑前宮田駅から列車を乗り継いで佐賀線の起点である瀬高駅から佐賀行の列車に乗った。時刻はすでに17時前であったような記憶がある。しかしどうしても1駅歩きたかったので、私は筑後大川駅でおりてこの駅を目指して歩いた。少し速足で歩いたが、…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(筑前宮田駅)

筑前宮田駅 この当時、東京本社での仕事はハードで毎日深夜までの勤務が続いていた。私は体調がすぐれず、尿に血が混じるようになった。前から気にはなっていたのだが、一度、腎臓の組織検査をするために私は休暇をとって神戸の実家の近くの病院に入院するこ…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(相模金子駅)

相模金子駅 この日は新宿から小田急線に乗って新松田駅まで行き、そこから目的地の御殿場線の相模金子駅まで歩いた。約2㎞を歩いたが、沿線の風景等ほとんど覚えていない。30分ほどで到着した相模金子駅は、一面ホームにさび付いた駅名標があるだけの簡素な…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(信濃浅野駅)

信濃浅野駅 初めて乗る飯山線であったがあまり車窓風景を覚えていない。ただし、途中の森宮野原駅は、1945年2月に国鉄の駅での最高積雪量(7m85㎝)を記録していることは知っていたので興味深かったこともあり、この駅に着いたときには周りを注意深く観察し…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(肥前山口駅)

肥前山口駅 宮原線に乗った翌日に訪れているが、前日どこに泊まったのかも覚えていない。駅のホームで撮影しただけで下車した記憶はない。 (肥前山口駅に停車中の特急「かもめ」) (1983年5月1日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(肥後小国駅)

肥後小国駅 宮原線は予想以上に良い路線だった。同行者は同じ歳のH君。途中、宝泉寺駅で下車し、近くにある温泉に入り、沿線をできる限り歩いた。麻生釣駅は高原の開放的な無人駅だった。宮原線の全線(26㎞)の約半分を歩いたので、終点の肥後小国駅に着い…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(豊後中村駅)

豊後中村駅 ゴールデンウィークの休日を利用して、九州へ旅をした。同行者は同じ歳のH君。早朝の豊後中村駅で撮影しているが、大阪からこの駅までどのような経路で来たのかは覚えていない。寝台列車に乗ったはずであるが列車名も記憶にない。豊後中村駅は晴…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(長門湯本駅)

長門湯本駅 両親と私の3人で山口に旅をした。久しぶりの家族旅行であった。中国自動車道を父と私が運転を交替しながら行った。秋芳洞をみてから、その日の宿泊地の湯本温泉に向かった。美祢線には乗れなかったが、旅館の窓から2輌編成の気動車が走っている…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(下野花岡駅)

下野花岡駅 東京本社に転勤になって最初に行ったのが烏山線の下野花岡駅だった。宇都宮駅で電車を乗り換えると、地元の高校生が大勢乗っていた。彼らの話し声のイントネーションは独特のものであった。私は遠くに来たことを実感した。距離的には東北や九州の…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(能登中島駅)

能登中島駅 東京本社に転勤が決まり、私の送別会の意味も込めて、同僚のN君と能登へ旅をした。今回もいつものように「青春18きっぷ」の旅であった。大阪から輪島まで普通列車を乗り継いで行った。いつも以上におしりが痛くなった記憶があるが、いままでの「…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(羽後本荘駅)

羽後本荘駅 11月の3連休を利用して東北への旅に出た。大阪から新潟行きの特急「雷鳥」に乗り、新潟から秋田行の特急「いなほ」に乗り換えた。「いなほ」の車窓からみえる日本海の夕景が美しかったのは覚えている。しかし目的地の羽後本荘駅に着いたときはあ…

旧国名の付く駅を訪ねる旅(周防花岡駅)

周防花岡駅 前年に続いてこの年も正月に旅に出た。岩国駅から岩徳線に入り、周防久保駅でおりて歩き始めた。何の変哲もない冬の田舎道を歩いた印象しかない。この日の夜は下関で泊まった。そして翌日は山陰線の列車で米子まで行き、伯備線で岡山にぬけた記憶…