HHD’s blog

線路のある風景

ケメ子の歌

 私は父の転勤の都合で小学校時代を四国の高松で暮らした。高松の社宅の最寄り駅としては、国鉄高徳線栗林駅高松琴平電気鉄道栗林公園駅があったが、国鉄線は松山や高知等の比較的遠地に行くときに乗るものであり、日常生活では圧倒的に高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」に乗ることが多かった。

 私が通っていた小学校の同級生に和田邦坊の息子さんがいた。和田邦坊は香川県琴平町の出身で、画家やデザイナーとして活躍されていた。地元で有名なお菓子である「灸まん」や「かまど」の包装紙のデザインは和田邦坊の作品であったので、香川県民であれば一度は目にしたことがあったのではないかと思う。和田君は私と誕生日が一日違いということもあり、仲の良い友人だった。そして和田君はなぜだか理由は忘れてしまったのだが、当時私たちが通っていた小学校の校区には住んでおらず、「ことでん」の挿頭丘駅から電車で小学校に通っていた。

 和田君の家には何度か遊びに行かせてもらったが、「ことでん」に乗るのも私の楽しみの一つだった。和田君の家では邦坊先生が自室で仕事をされているのを何度か見たことがあった。邦坊先生は当時すでに70歳くらいで、和田君のお父さんと言うよりもお爺さんと言った方が良いのではないかと思った記憶がある。

 小学校での生活は楽しかったが、6年生になると勉強も少しずつ難しくなったきた。私の母はPTAの役員をしていたこともあり、同級生の母親との交流が広かった。そのような事情から香川大学の学生さんを紹介してもらい、同級生と2人一組で勉強を教えてもらうことになった。今で言う学習塾の個別指導のようなものであるが、違いは授業の場所が塾の教室ではなく、お互いの自宅で行われたことだった。授業の場所はひと月ごとに私の家と同級生の家が交替するパターンで行われた。授業は夜の9時頃に終わり、その後でみんなでお茶とお菓子を食べながらテレビをみた。私はこの時間が一番好きだった。この当時人気番組だった「ゲバゲバ90分」をみて大笑いした記憶がある。又、歌番組が全盛の時代だったので当時の流行歌がテレビのブラウン管から流れていた。「ブルー・ライト・ヨコハマ」「恋の季節」などの曲は今でもはっきりと覚えているが、私の一番のお気に入りはなぜかケメ子の歌だった。

♪ きのうケメ子にあいました
 星のきれいな夜でした
 ケメ子と別れたそのあとで
 小さい声でいいました
 好き好き
 ぼくはケメ子が好きなんだ
 ♪

 1960年代、地方都市の夜は今と比べるとかなり暗かった。授業を終えて同級生宅からの帰り道、空気は澄んでいて星空がきれいに見えた。私は無意識にケメ子の歌を口ずさんでいた。

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(自宅で飾っている和田邦坊先生の作品)