HHD’s blog

線路のある風景

2021-01-01から1年間の記事一覧

「駅再訪2」を出版しました

旧国名の付く駅を再訪する旅を綴った「駅再訪2」をアマゾンキンドルで出版しました。今回はコロナ禍の影響で、近場の駅が中心になりましたが、鉄道だけでなく昔に私とかかわった人との記憶がよみがえり、文章に綴ることができました。コロナ前の普通の日常…

山城青谷駅

39年ぶりに奈良線の山城青谷駅を訪れました。駅舎は昔の木造から都市郊外型のものに変わっていました。私も24歳の青年から還暦を過ぎた老人になってしまいました。時の流れの速さにただ驚くばかりです。 (2021年11月) (1982年12月)

「稲佐の浜」を出版しました

半年ぶりに電子書籍本(アマゾンキンドル)を出しました。今回は竹内まりやの「いのちの歌」のミュージックビデオに登場する出雲大社近くの稲佐の浜への旅を綴りました。竹内まりやの生家の「竹野屋旅館」に宿泊し翌朝、神迎えの道を歩いて稲佐の浜へ行きま…

ケメ子の歌

私は父の転勤の都合で小学校時代を四国の高松で暮らした。高松の社宅の最寄り駅としては、国鉄高徳線の栗林駅と高松琴平電気鉄道の栗林公園駅があったが、国鉄線は松山や高知等の比較的遠地に行くときに乗るものであり、日常生活では圧倒的に高松琴平電気鉄…

結婚するって本当ですか

かつて東海道本線の東京・大阪間を走っていた寝台急行「銀河」に私は何度も乗った。乗車目的は神戸の実家への帰省だった。 東京駅のホームに上がると大阪行きの寝台急行「銀河」はすでに入線していた。B寝台の下段のベッドに腰を下ろす。今回の神戸への帰省…

死について考える

私がまだ40歳の頃、いとこの葬儀に参列したことがあった。いとことは言っても生前ほとんど付き合いはなく、たまに法事で顔を合わせる程度の関係だった。葬儀も終わりに近づいた時に喪主であるいとこの奥さんと中学生の長男があいさつで前に立った。私はいと…

宇高連絡船の思い出

宇高連絡船はかつて四国の高松駅と岡山県の宇野駅の間を国鉄が航行していた鉄道連絡船だった。私は高松で小学生時代を送ったが、当時はまだ瀬戸大橋は出来ていなかったので、故郷の神戸に帰省するときは必ずこの連絡船に乗った。そしてこの時にいつも食べた…

西神中央駅

「ありがとう。行ってきます。」「気をつけてな。」 お盆休みを終えて東京に帰る私を、神戸市営地下鉄の西神中央駅まで車で送ってくれた父との会話だった。そしてこれが父と交わした最後の会話となった。 父が危篤状態になったとの電話があったのは夜の10時…

青春18きっぷ(夏)

・はじめての一人旅を、人は一生、忘れない。 青春18きっぷの広告のキャッチコピーである。そしてこのキャッチコピーの旅が私にはある。就職活動を直前に控えた大学4年生の夏休みの旅である。 1980年8月、大阪駅から富山行の夜行急行「立山」に乗った。夏…

青春18きっぷ(春)

・タンポポみたいに旅にでた。 青春18きっぷのキャッチコピーをみるといつも旅に出たくなる。今年ももうすぐ春の発売が始まるようである。コロナ禍で旅に出る機会がめっきり減ってしまったが、やはり旅はしたい。 私は在宅血液透析を始めて5年になるがこ…

借金だるま

2015年9月にNHKの番組で阪急電鉄や宝塚歌劇団などの阪急グループの創始者である小林一三の生涯を描いたドラマ「経世済民の男」が放送された。そのドラマの中で巨大なだるまが登場した。「借金だるま」と名付けられたそのだるまは、見た目はどことなくコミカ…

「井」の思い出

私は子供の頃から鉄道が好きだった。車両を見たり乗ったりするのはもちろん大好きであるが、何が一番好きかと聞かれたら多分「線路」と答えると思う。線路に関しては色々な思い出があるが、今思い出しても思わずにんまりとしてしまう出来事がある。 小学校の…

お寺の「今日のことば」

コロナの感染拡大による緊急事態宣言が出されたため、近くを散歩することしかできない日々が続いている。散歩の途中でお寺の「今日のことば」を見る機会が増えた。最初は何気なく見ていたがそのうちに気が付いたことがあった。掲示板に書かれたお寺の「今日…

雪景色と列車

列車の窓から雪景色を眺めるのはいいものである。冬の旅の醍醐味ともいえる。急に雪を見たくなって出かけた旅があった。 1986年1月15日。大阪駅から特急「雷鳥」に乗った。湖西線の蓬莱駅を通過したあたりから車窓に積雪が見られるようになった。敦賀を出て…

神戸駅

大学病院のトイレで用を足す。少ないながらもまだ尿が出ている。理屈抜きでうれしい。一般の人にとっては尿が出ることは当たり前のことなので私の気持ちは理解してもらえないと思うが、私にとっては有難い事なのである。しかし最近は尿の量もかなり少なくな…