HHD’s blog

線路のある風景

神戸駅

 大学病院のトイレで用を足す。少ないながらもまだ尿が出ている。理屈抜きでうれしい。一般の人にとっては尿が出ることは当たり前のことなので私の気持ちは理解してもらえないと思うが、私にとっては有難い事なのである。しかし最近は尿の量もかなり少なくなっており、完全に出なくなってしまいそうな状況である。
 今日は臓器移植ネットワークの年に一度の更新手続きのための検査と診察を受けるために大学病院に来ている。移植の希望登録をして17年になるが未だに移植を受けることができないのが現状である。

 人生においては「もしも」は成立しないことは百も承知しているが、こんなにつらい透析をやらなくても済んだのではないのか、私の人生は今とは違ったものになっていたのではないかと思える、そんな分岐点になった年があったような気がする。それは1977年のことであった。
 
 その年、私は大学入試に失敗し滑り止めの大学に入学した。しかし私は第一志望の大学への入学をあきらめきれないでいた。私は生まれつきに扁桃腺肥大の症状があり、よく熱を出した。そこでこの機会に扁桃腺の手術をして大学を休学して、再度、第一志望の大学を受験するつもりでいた。手術をする必要があるのかを判断するために大学病院で検査を受けた。検査当日、私とまったく同じ検査を受けた中年の男の人がいた。この人とは待合スペースでもずっと一緒だった。病院の帰りにこの男の人が自転車で私の横を通り過ぎて行った。そしてなぜかその時の男の人の後ろ姿が今でも私の記憶に鮮明に残っている。
 検査結果は私の希望とは逆で、手術をする必要はないとのことだった。しかしそれから4年後、私が社会人1年目の時に扁桃腺の熱から血尿を出して入院することになった。それ以降、尿検査ではたんぱくと血尿の異常が続き、結果的に45歳で人工透析の導入となってしまった。

 最近になって時々考えることがある。あの大学病院での検査の日、私と同じ検査を受けた中年の男の人と検査データを取り違えたことはなかったのだろうか。最近、医療現場での考えられないような人為的なミスによって重大な結果をもたらした報道をよく目にする。私のあの検査は40数年前のことである。取り違えのミスがあったとしても不思議なことではないと思う。もしあの時、手術をしていれば透析には至らなかったのかもしれない。大学も再受験していたかもしれない。

 しかしこれらのことはすべて私の勝手な思い込みである。検査結果を取り違えていたとしても私と同じであの男の人も手術をしなくても大丈夫であったのかもしれない。そしてどうしても第一志望の大学に行きたいのであれば、検査の結果など関係なく挑戦すればよかっただけのことである。いくつかの選択肢があった中で結果として自分が選んだ選択肢を生きるしかないのである。

 大学病院を出て、神戸駅に向けて歩いている私の横を中年の男の人が自転車で通り過ぎて行った。40数年前の光景が頭をよぎる。走り去っていった自転車の男の人の後ろ姿の向こうに神戸駅の駅舎がはっきりと見えた。
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