HHD’s blog

線路のある風景

西神中央駅

「ありがとう。行ってきます。」

「気をつけてな。」

 お盆休みを終えて東京に帰る私を、神戸市営地下鉄西神中央駅まで車で送ってくれた父との会話だった。そしてこれが父と交わした最後の会話となった。

 父が危篤状態になったとの電話があったのは夜の10時を過ぎた頃だった。最終の新幹線はすでに出ていたので、翌日の一番列車に乗るしか手段はなかった。翌日、東京駅6時発の新幹線に乗りようやくたどりついた病院の集中治療室のベッドに父はいた。酸素マスクをつけた父の目は閉じられたままだった。私は父の付き添いで病室に泊まった。病室にある粗末なイスを並べてその上で寝た。まだ10月なのにひどく寒い夜だった。

 その夜私は夢をみた。私は受験した高校の合格発表を見に行くため一人で歩いていた。当時はネットもスマホもない時代だったので、合否の確認は学校に行って掲示板を見るしか方法はなかった。私が高校に着くとなぜか父がいた。平日なのに会社を早退して来たのだろうか。私の受験番号を見つけると父は私以上に喜んでくれた。父と高校の校門を出て並んで歩いた。平日の昼間に父と一緒にいたことはほとんど記憶になかったので、私は少し奇妙な気分になっていた。昨日までの寒さがウソのようなぽかぽか陽気の日だった。父の表情は穏やかで笑みを浮かべているのだが、不思議なことに一言もしゃべることはなかった。私が何度も話しかけても父からの返答はなかった。家に着くと母が出てきて合格を告げると喜んでくれた。しかし私と一緒に帰宅したはずの父の姿が見えなかった。私は家中を探した。そんなに大きな家ではないのに父はどこにもいなかった。そこで目が覚めた。病室の窓から秋の弱い朝日が射し込んでいた。そしてその日のお昼前に父は向こうの世界に旅立って行った。

 あれから26年の歳月が流れた。父が亡くなって1年半後に生まれた父にとっては初孫にあたる私の長男は、今は東京で教員をしている。私は仏壇に息子が社会人として頑張っていることを伝える。そして仕方のない事であるのだが、私もいつかは息子と別れなければならない日がくることになる。西神中央駅のロータリーで最後に父と交わした言葉が頭をよぎる。その時、仏壇の父の写真がほんの少しだけ微笑んだような気がした。

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