宇高連絡船はかつて四国の高松駅と岡山県の宇野駅の間を国鉄が航行していた鉄道連絡船だった。私は高松で小学生時代を送ったが、当時はまだ瀬戸大橋は出来ていなかったので、故郷の神戸に帰省するときは必ずこの連絡船に乗った。そしてこの時にいつも食べたのが高松駅の駅弁「あなごめし」だった。この弁当は本当に美味しかった。この弁当を食べることは私にとって連絡船に乗る最大の楽しみだった記憶が今でもある。
私が最後に宇高連絡船に乗ったのは、父の転勤で高松から京都に引っ越した時だった。3月の転勤や卒業に伴う引越しのシーズン真っ最中の時期であったこともあり、宇高連絡船の乗り場は見送りの人たちで大変な賑わいだった。父の会社の人たちはもちろん、母も私の小学校のPTAの役員をしていたので同級生やその母親が大勢見送りに来てくれていた。私はあまりにもたくさんの人たちの見送りに少し気後れし、気恥ずかしい気持ちを感じていた。早く船が出航しないか、そればかり考えていた。連絡船はいつも通り1時間で宇野港に到着した。その日は宇野駅から特急「うずしお」に乗った。いつも家族で神戸に帰省するときは急行「鷲羽」を利用していたが、この時は父の転勤による移動であったので特急の乗車が認められたのであろうか、私の隣の座席に座った父の表情がいつもと違って少し誇らしげにみえた。
1988年4月の瀬戸大橋線の開業に伴い、宇高連絡船は廃止された。今は高松駅から岡山駅まで快速「マリンライナー」に乗れば50分程度で行くことができる。便利にはなったが、連絡船で瀬戸の島々を眺めながら「あなごめし」を食べた少年時代の記憶が今でも私の心の中で生き続けている。