HHD’s blog

線路のある風景

結婚するって本当ですか

 かつて東海道本線の東京・大阪間を走っていた寝台急行「銀河」に私は何度も乗った。乗車目的は神戸の実家への帰省だった。

 東京駅のホームに上がると大阪行きの寝台急行「銀河」はすでに入線していた。B寝台の下段のベッドに腰を下ろす。今回の神戸への帰省の目的は私のお見合いだった。誰にも言っていなかったがもう5回目になる。30歳を過ぎても一向に結婚しない息子を心配して両親が設定したものだった。いつものことであるが見合いの席は苦手だった。私は明日のことを考えると少し憂鬱な気分になっていた。
 「銀河」は定刻に東京駅を出発した。新橋の駅のホームには帰宅の電車を待つ大勢のサラリーマンの姿が見えた。列車の窓一枚を隔てて、日常と非日常の世界がくっきりと分かれていた。「鉄道唱歌」のメロディーが流れて車掌が車内放送を始めた。

 私には3歳年下の従妹がいた。子供の頃によく一緒に遊んだ。夏休みに田舎の祖母の家での川遊びや花火をした懐かしい思い出があった。成人してからは法事などで何度か会っただけなのになぜだかわからないのであるが彼女の姿が私の頭の中から消えないで残っていた。
彼女は恋愛の対象になる人ではなく、彼女と人生をともに生きることは現実味のあることではなかった。けれども心が嘘をつけないでいた。そんな悶々とした日々を送っていた私だったが、突然にその思いに終止符が打たれることになった。それは今回の私の見合いの件で母と電話していた時のことだった。何気ない会話の中で母が彼女がもうすぐ結婚するとの話をした。何でも相手は彼女の大学の同級生で卒業後もずっと付き合っていてやっと結婚することになったとのことだった。私は特に興味がないと言った素振りですぐに別の話に切り替えた。
 母との電話を終えて受話器を置いたが、私は体の力が抜けていく何とも言えぬ喪失感を覚えた。彼女と私は付き合っていたわけでもなく私の勝手な思い入れだけだった。そして30歳に近い彼女が結婚することは世間的には当たり前のことだった。その時、昔に聴いたダ・カーポ「結婚するって本当ですか」の曲の歌詞とメロディーが私の頭をよぎった。この曲はちょっとしたすれ違いで半年前に別れた元カレが別の女と結婚することを知った女性が、別れた元カレへの複雑な気持ちを歌った曲で、当時まだ高校生だったが私はこの曲が好きだった。


♪ 結婚するって 本当ですか
 今でもあなたが 好きだから
 心を込めて祈ります 幸せを
 ♪

 
 一週間の仕事の疲れのおかげで、横浜駅を出てから全く記憶がなかった。目が覚めると列車の窓のカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。車内放送がまもなく京都に到着することを告げた。京都駅のホームに「銀河」は静かに到着した。終着の大阪までは後もう少しだ。そろそろ着替えをしなければならない。私はゆっくりと起き上がった。動き始めた列車の窓から京都の街並みが見えた。着替えをしながら私は無意識に独り言をつぶやいていた。

「結婚するって本当ですか。」

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