HHD’s blog

線路のある風景

伊勢奥津駅

 三重県を走る名松線伊勢奥津駅へ41年ぶりに行ってきました。駅はすっかり変わってしまったように見えました。ただ給水塔の遺跡が残っており昔の記憶が少しだけよみがえりました。名松線は度重なる台風の被害で何度も廃線の危機にあったのに、その都度乗り越えてきた路線ですが、松阪から乗った1輌の気動車の乗客は私を含めても3人だけでした。経営面では少し心配ですが頑張ってほしいと思います。


蒸気機関車時代の給水塔の遺跡)

(一面一線の単式ホームになっていた)

国鉄時代の伊勢奥津駅 1981年2月23日撮影)

越前花堂駅

 越美北線越前花堂駅に行ってきました。大阪駅から乗った特急「サンダーバード」の乗車率は80%以上はありました。平日だったこともありスーツを着たビジネスマンらしき人たちが大半を占めていました。コロナ禍でも行動制限がなくなったので出張も以前のように戻ってきたのでしょうか。
 39年ぶりに訪れた越前花堂駅は昔と変わっていないように感じました。福井駅では霧雨が降っていましたが、越前花堂駅に着いてしばらくすると天気が回復し薄日が差して空が少し青くなってきました。私の久しぶりの訪問を歓迎してくれたようで良い気分になりました。又、帰りに立ち寄った福井駅には珍しい駅弁の自動販売機が置いてありました。


越前花堂駅のホームに停車中の九頭竜湖行の気動車

福井駅にあった駅弁の自動販売機)

伊賀上野駅

 関西本線伊賀上野駅に行ってきました。前回訪れたのはもう40年以上前のことでした。その時は伊賀上野駅から三重県滋賀県の県境を越えて国鉄信楽線の終点、信楽駅まで歩きました。伊賀上野の駅はJRに転換した以外は国鉄時代とあまり変わっていませんでした。もう昔のように歩いて県境の峠越えをする体力はありませんが、昔の記憶がよみがえった良い旅となりました。


(加茂行のキハ120形ディーゼルカー

(駅前にあった芭蕉の句碑)

たかはしさんち


 築46年の実家を2年前に売却した。母が老人ホームに入居したのに伴い空き家になっていた家を、この地区を開発して宅地分譲した大手住宅会社が地域住民のコミュニティの活性化を図るための施設を作るため、初めての試みとして私の実家を購入してくれた。母は最初は反対していたが、空き家で置いておくリスクの大きさを私が何度も説明し、ようやく売却に納得してくれた。

 改修工事は無事に終わったが、タイミングが悪くコロナ禍のためにまだ本格的には稼働していないとのことだった。地域住民の方がこの施設の名前を付けるときに、「高橋さんの家」が良いとの提案があったので、これを少しくずして親しみを込めて「たかはしさんち」にしたとのことを住宅会社の担当者からきいた。

 これから人口減少社会になり、空き家が増えてくるなどの社会問題が深刻になってきているが、このような試みがわずかではあるが地域住民のコミュニティの形成に役に立ってくれたら、母も満足ではないかと思った。

家に帰ろう

 昨日、NHKで配偶者からの腎臓移植をテーマにした番組を偶然に見た。一昔前までは親子や近親者間などの血縁関係にある人からの臓器提供が多かったが、免疫抑制剤の進歩により今は配偶者間での移植のほうが多いのが実状となっている。番組では夫婦の心の葛藤などにもふれており、考えさせられる番組内容だった。
 私の妻も以前から私に腎臓を提供しても良いと言ってくれている。ただ私の中ではどうしても生きている人間から臓器を取り出してもらうことに抵抗がある。しかし昨日の番組から「家族」とは?「夫婦」とは?について違った角度から考えてみる良い機会となった。残された人生を一人で生きていくのではなく、「家族」や「夫婦」といったくくりで考えてみることの大切さについて気づかせてもらった。

 ♪
冷蔵庫の中で 凍りかけた愛を
温めなおしたいのに
見る夢が違う 着る服が違う
いちどは信じ合えたふたりなら
心帰る場所はひとつ
いつもの My sweet sweet home

 竹内まりやの「家に帰ろう」の歌詞が私の頭に浮かんだ。今は空気のような存在になっている妻だが、離れて暮らしている息子も含めて夫婦や家族について改めて考えてみようと思った。

 

中島みゆきと竹内まりや

 去年の12月に臓器移植ネットワークに登録している大学病院から、移植手術候補になっているとの連絡があった。しかし私の順位は4位だったので、残念ながら移植手術を受けることはできなかった。その時に中島みゆきの曲に勇気をもらった。特に「倒木の敗者復活戦」の歌詞に私は自分の気持ちを重ね合わせた。

望みの糸は切れても 救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦

 しかし今年に入ってからのコロナの感染者数の激増により、医療機関の病床使用率が増加し通常医療にも影響が出ているような状況では腎臓移植手術は優先順位においては低いのが悲しいことではあるが実状となっている。
 今の私はもう生きているうちに移植手術を受けることはできないのではないかと考えるようになった。施設での辛い透析を続けていかなければならない。そして結局これが私の日常の営みになるのであれば受け入れなければならないものであると考えるようになった。

毎日がスペシャル 毎日がスペシャ
Everyday is a special day

 竹内まりやの「毎日がスペシャル」は何気ない日常の日々が大切で愛おしいものであることを教えてくれる曲である。今はこの曲のように日常の暮らしに感謝して、残された時間を楽しんで生きて行こうと考えている。

 私は今、中島みゆきの曲に勇気をもらい、竹内まりやの曲に癒されている。


ファインプレー

 今年の高校野球兵庫大会の決勝戦は、社高校と神戸国際大付属高校との対戦となった。延長タイブレークになる接戦となったが、途中心が和む場面があった。社の選手がヒットを打って三塁に滑り込んだ時、足がつって倒れてしまった。すぐにベンチから選手が駆けつけて足を引っ張った。そしてなんと神戸国際大学付属の三塁手も倒れた社の選手の足を引っ張るのを手伝った。この場面に私は少し目頭があつくなった。
 昨日の甲子園での試合中のこと。打者走者が相手の一塁手と激しく衝突して、走者が倒れてしまった。ベンチから多くの選手が出てきて心配そうにしているのに、この一塁手は衝突して倒れている相手選手を気遣うこともなく、中断の時間を利用して送球練習をしていた。この場面を見て私は複雑な気持ちになった。走者も一塁手も精一杯のプレーでどちらにも非がないことはわかっているが、相手を気遣う行動をしてほしかった。改めて神戸国際大付属の三塁手のプレーは記録には残らないが記憶に残るファインプレーだと思った。

夏旅


兼六園


金沢城


21世紀美術館

 妻と二人で金沢に1泊2日の旅に行きました。平日だったこともあり列車も観光地も空いていました。夕食は近江町市場の中にある店で刺身と能登野菜のてんぷらを食べました。心休まる「夏旅」になりました。

「線路のある風景」を再出版しました

 昨年出版した「線路のある風景(総集編)」を表紙ならびに本文を修正して「線路のある風景」の書名で再出版しました。

(アマゾンキンドル本の表紙)