HHD’s blog

線路のある風景

旧国名の付く駅を訪ねる旅(長門湯本駅)

長門湯本駅

 両親と私の3人で山口に旅をした。久しぶりの家族旅行であった。中国自動車道を父と私が運転を交替しながら行った。秋芳洞をみてから、その日の宿泊地の湯本温泉に向かった。美祢線には乗れなかったが、旅館の窓から2輌編成の気動車が走っているのをみることができた。

 JRになってから安易に駅名を「〇〇温泉駅」と改名するケースが全国的に広がっているが、この駅は昔のままで改名せず「長門湯本」を名乗っているのは好ましい。ぜひ今度は美祢線に乗って訪れてみようと思っている。

 

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(旅館の部屋の窓から撮影した美祢線の列車)

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(1983年8月28日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(下野花岡駅)

下野花岡駅

 東京本社に転勤になって最初に行ったのが烏山線下野花岡駅だった。宇都宮駅で電車を乗り換えると、地元の高校生が大勢乗っていた。彼らの話し声のイントネーションは独特のものであった。私は遠くに来たことを実感した。距離的には東北や九州のほうが遠いのだが、関西人の私にとってこの言葉は今まで聞いたことがないものであった。東京本社に転勤になったのに、私はまるで都落ちした気分になってしまった。宝積寺駅でおりて歩いてたどり着いたのが下野花岡駅であった。この駅には申し訳ないが都落ちにふさわしい田んぼの中にぽつんとあるホーム一面だけの簡素な無人駅だった。

 なおこの駅は、私が訪ねた時は「しもずけはなおか」との表記であったが、現在は「しもつけはなおか」の表記になっているようである。

 

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(1986年6月8日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(能登中島駅)

能登中島

 東京本社に転勤が決まり、私の送別会の意味も込めて、同僚のN君と能登へ旅をした。今回もいつものように「青春18きっぷ」の旅であった。大阪から輪島まで普通列車を乗り継いで行った。いつも以上におしりが痛くなった記憶があるが、いままでの「青春18きっぷ」の旅の中で一番ハードな旅であったように思う。この日の夜は輪島で泊まった。翌日、朝市を見たような記憶があるがはっきりしない。帰路の途中にある能登中島駅で下車した。

 私の旧国名の付く駅を訪ねる旅に何度も付き合ってくれたN君であったが、N君との旅はこれが最後となった。

 

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能登中島駅ホームで発車を待つ金沢行の普通列車

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(1986年3月22日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(羽後本荘駅)

羽後本荘駅

 11月の3連休を利用して東北への旅に出た。大阪から新潟行きの特急「雷鳥」に乗り、新潟から秋田行の特急「いなほ」に乗り換えた。「いなほ」の車窓からみえる日本海の夕景が美しかったのは覚えている。しかし目的地の羽後本荘駅に着いたときはあたりはすでに真っ暗な状態であった。国鉄矢島線を引き継いだ由利高原鉄道が開業した直後で、ホームに横断幕がかかっていた。本来であれば私は国鉄矢島線の終点である羽後矢島駅を訪ねたかったのだが、残念ながら間に合わなかった。この日は朝から電車に乗りっぱなしで歩くこともなかったので少し疲れた。駅の外に出てみたが小雨が降っていて寒かったのですぐに引き返した。この日の夜は秋田駅前のビジネスホテルに泊まった。

 

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由利高原鉄道鳥海山麓線の開業直後だった)

 

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(1985年11月2日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(周防花岡駅)

周防花岡駅

 前年に続いてこの年も正月に旅に出た。岩国駅から岩徳線に入り、周防久保駅でおりて歩き始めた。何の変哲もない冬の田舎道を歩いた印象しかない。この日の夜は下関で泊まった。そして翌日は山陰線の列車で米子まで行き、伯備線で岡山にぬけた記憶があるがはっきりしない。

 

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周防久保駅でおりて歩く)

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(1986年1月2日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(大和新庄駅)

大和新庄駅

 この日は残業が続いた週末の休日だった。疲れていたのでどこにも出かけるつもりはなかったが、たまたま聴いていたラジオが大和路の秋の魅力を伝える番組を実況中継で流していた。この放送を聴いているうちに、大和路の秋の風景をみてみたいとの思いが私の中に湧き上がってきた。そんなこともあって急に思い立ってこの駅を目指すことになった。

 関西本線王子駅和歌山線の列車に乗り換えて、高田駅でおりて歩き始めた。ラジオで放送していた通りの秋本番の風景が広がっていた。1時間近く歩いて大和新庄駅に着いたが、この駅の印象はあまりない。しかし、秋本番の大和路の風景に触れて、はるか昔の万葉の時代に思いを馳せることができた良い旅であったと思う。

 

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(閑散とした大和新庄駅前)

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(高田ー大和新庄 秋本番の風景のなかを歩く)(1983年10月23日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(越中国分駅)

越中国分駅

 前日、富山に泊まった流れで氷見線に乗った。越中国分駅で同行者のN君に写真を撮ってもらった。ホームは吹きさらしで、やたらと風がきつかった記憶がある。その後、次の雨晴駅まで歩いた。私の歩く旅のことを知らなかったN君は少し迷惑そうな表情を浮かべていた。それでも雨晴駅までの約2㎞の「散歩」に付き合ってくれた。早春の日本海の波が荒かったのが印象に残っている。

 

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越中国分駅ホーム) (1985年3月17日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(飛騨小坂駅)

飛騨小坂駅

 会社の同僚のN君と「青春18きっぷ」を使って1泊2日の旅をした。大阪駅から東海道線普通列車を乗り継いで、岐阜駅から高山線に入った。普通列車の窓からみえる飛騨川の景色は美しかった。高山線には「飛騨金山」、「飛騨萩原」、「飛騨宮田」、「飛騨一ノ宮」、「飛騨国府」、「飛騨古川」、「飛騨細江」と「飛騨」を冠する駅はたくさんあったが、私は飛騨小坂駅を選んだ。しかし、なぜこの駅にしたのかは覚えていない。

 N君は私に付き合って、この駅で下車してくれた。何もない山間の小駅だった。この日は高山線を全線乗りとおして、富山で泊まった。

 

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 (飛騨小坂駅に入線する急行列車)

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 (1985年3月16日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(伊豆北川駅)

伊豆北川駅

 「伊豆」を冠する駅はいくつかあったが、国鉄では伊東線伊豆多賀駅があるだけだった。当初はこの駅にしようと考えていたが、もう少し伊豆半島を南下してみたかったので、伊豆急行線伊豆北川駅を選んだ。ひとつ手前の伊豆大川駅でおりて歩いた。海沿いの景色の良い道を歩いたはずであるがあまり記憶がない。しかし、途中に野天風呂があり、その中の岩にアメリカを見ながら入れる野天風呂と書かれていたのを見て、スケールの大きなユーモア精神に思わず笑ってしまったのは記憶にある。

 

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(すべて「いず」が付いている駅名標

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(スケールの大きい文章が書かれた野天風呂

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伊豆大川伊豆北川 を歩く)(1986年9月7日撮影)

旧国名の付く駅を訪ねる旅(河内磐船駅→山城青谷駅)

河内磐船駅山城青谷駅

 この当時、大阪の独身寮に入っていた私であったが、年の瀬も迫った師走の休日に急に思い立って出かけた。当時、片町線は長尾駅までしか電化されておらず、長尾駅でディーゼルカーに乗り換えた。しかもこのディーゼルカーはたったの1輌で、急に田舎のローカル線に来たようで、予想外ではあったが旅情を感じることができた。しかし、河内磐船駅から奈良線山城青谷駅までどのような経路で行ったのか覚えていない。ただ冬の夕暮れが迫る時刻に山城青谷駅のホームで写真を撮ったことだけは記憶にある。

 

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(1982年12月19日撮影)