この日は暑くて体調もあまり良くなかった記憶がある。岡山で吉備線に乗り換えて、この駅で写真を撮っただけの旅になってしまったが、最上稲荷の大きな鳥居があったのは印象に残っている。
(最上稲荷の大鳥居)
(備中高松駅ホームに停車中の列車)
(1984年8月5日撮影)
この旅は越美南線の美濃白鳥駅からバスで九頭竜湖へ向かうルートから始まった。同行者は同じ歳のH君。九頭竜湖でバスをおりて、人並みに「観光」をして越美北線の九頭竜湖駅に向かって歩き出したのであるが、途中でものすごい雷雨に襲われ、国道わきの草むらに退避した。その時にたまたま通りかかったパトカーにお願いして乗せてもらい九頭竜湖駅まで送ってもらった。私もH君もびしょ濡れ状態だったので、このままだと風邪をひいてしまうので、民宿にお願いして風呂に入れてもらった。そのようなこともあって、目的地の越前花堂駅に着いたのは予定よりも遅れて、夏の長い陽も光を失い始めた頃であった。この日の夜は福井市内のビジネスホテルに泊まった。食事を終えて、静かな喫茶店でコーヒーを飲んだ。H君は日ごろからハードな仕事をしており、「こんなにゆっくりとコーヒーを飲んだのはひさしぶりや。」とつぶやいたのが今でも私の記憶に残っている。まだ二人とも25歳の青年だった。雷雨の洗礼、駆け出しの社会人としての厳しい日々、なにかほろにがいのだけれども私にとってなつかしい、忘れられない旅となった。
(九頭竜湖をバックにH君と撮影)
(1983年7月30日撮影)
仕事を終えた金曜日に、大阪駅発の夜行急行「だいせん」で鳥取県への旅にでた。同行者は同じ歳のH君。私もH君もまだ社会人になって2年めということもあり、趣味の鉄道旅行にかけるお金にも限度があるため、寝台車ではなく座席車両に乗った。この夜は3連休の前日ということもあり、乗客は多かった。指定券は持っていたので座ることはできたが、4人掛けのボックスシートはすべて満席で足を伸ばすこともできず、窮屈な状態が続いた。途中、福知山で少し停車時間があったので、ホームにおりて背伸びをした記憶がある。その後も窮屈な姿勢のままだったのでほとんど眠ることはできなかった。目的地の伯耆大山の駅に着いたときは寝不足ですこしぼんやりとした状態であったが、ホームにおりるとあまりにも冷たい空気に思わず目が覚めた。そんな夜明けの伯耆大山駅のホームでH君は写真を撮ってくれた。
(1983年3月19日撮影)
伊予平野駅
この旅の同行者は、同じ会社の東京本社に勤務する先輩社員のAさんだった。Aさんは鉄道友の会の会員で、鉄道に関する記事をいくつも書かれている方であった。すでに国鉄全線を完乗しており、新線が開業するとすぐに乗りに行くのが決まりになっていた。この時は予讃線のバイパス線となる内山線(現予讃線)が新規開業した直後であったのでこの区間に乗るのが目的であった。Aさんとは宇和島で合流し宿泊した。
肝心の私の目的地である伊予平野駅であるが、正直あまり記憶がない。しかしホームに停車中の列車とおばあさんの後ろ姿の写真をみると、かつてNHKで放送されていた「新日本紀行」のワンシーンをみているようで懐かしい気分になった。
(伊予平野駅ホームに停車中の列車とおばあさん)
(1986年3月8日撮影)