HHD’s blog

線路のある風景

旧国名の付く駅を訪ねる旅(丹後神崎駅)

丹後神崎駅

 この年は3月も中旬を過ぎたのにいつまでも寒い日が続いていた。この旅は京都駅から山陰線の急行列車に乗ってスタートした。宮津線東雲駅でおりて、目的地である次の丹後神崎駅を目指して歩き始めた。当時、NHKで「新夢千代日記」が放送されていた。私はこのドラマに登場した但馬が生んだ歌人前田純孝の短歌に心を奪われた。前田純孝は、31歳といった若さで結核で亡くなった。本来であれば春を求めて南に向かう旅になるはずであったが、このドラマの影響を受けた私は、北の日本海を目指した旅を選んだ。丹後神崎の駅はそんな私の気持ちにふさわしい駅であった。前田純孝の短歌は今でも私の心の中に生き続けている。

 

病めるもの世に用はなしかくのごと我は思へり汝も思うや

わが病癒す薬の新薬のありとも書かぬ新聞をよむ

人のため流るる涕のこるかや我もたふとし尚生きてあらん

                             前田純孝

 

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(早春の日本海) 

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(東雲ー丹後神崎 を走る列車) (1984年3月20日撮影)